花火の話
「花火の由来 」
花火は戦国時代、通信の手段であった狼煙(のろし)に由来します。
これを江戸時代、徳川家康が鑑賞するようになり、花火作りが始まったとされています。
家康の故郷である三河では、今も花火作りが盛んに行なわれています。
江戸時代、花火はとてもメジャーな風物になっていきました、いまでもよく耳にする「たまや〜」、「かぎや〜」という掛け声は江戸時代の花火屋、「玉屋」と「鍵屋」に由来しています。
「両国川開き納涼花火」(隅田川花火大会の原型)は、1733年に始まり、この大会で、上流に「玉屋」、下流に「鍵屋」がそれぞれ担当し、二大花火師の競演となりました。これを応援する掛け声が、「たまや〜」「かぎや〜」ということです。
この競演、是非見たかったですね、そして思わず叫ぶんでしょうね、「たまや〜」、「かぎや〜」。
古川柳に「花火屋は何れも稲荷の氏子なり」という一句があります。これは鍵屋の守護神であるお稲荷さんの狐が、一方は鍵をくわえ、一方は玉をくわえていたところから、この鍵をとって創業の際に屋号にしたことを詠んだもので、当時花火屋といえば鍵屋を指していました。
鍵屋の七代目が番頭の清七にのれん分けする際、玉屋の屋号を与えたのも、もう一方のお稲荷さんがくわえていた玉にあやかるようにとの意図でした。それ以降、両国の川開きでは鍵屋、玉屋が川の上下に船を出して競演し、「鍵屋〜」「玉屋〜」と江戸の人々に声をかけられました。しかし、玉屋は不慮の失火により江戸所払いとなり、鍵屋は現在に至っています。
平成12年 1月22日、鍵屋十五代目、天野安喜子さん襲名。
なんと、まだ花火屋の創業からの歴史は現在も受け継がれているんです、これって素晴らしい事実です、まさしく日本文化の誇るべき一面ですね。